13/12/24クリスマスイヴ礼拝説教@高知東教会 ルカによる福音書2:8-20 「本当か否か見に行こう」

13/12/24クリスマスイヴ礼拝説教@高知東教会

ルカによる福音書2:8-20

「本当か否か見に行こう」

 

今年の12月の礼拝では今夜今まで聴いてきたクリスマスの御言葉を順番に説き明かしてきました。ああ、そうそう、そういう救い主の約束やったと思いだして聴かれた方も多いでしょう。また、そうながやと、これらの約束の言葉を初めて聴かれた方もおられるかもしれません。それはきっと今読みました羊飼いたちにとっても同じことでして、救い主のことを、え、そうやったが?って、この羊飼いたち、初めて聴いたのじゃないかとも思われるのです。ずうっと救い主の現れを待っておった人々でなく、私のために救い主が?という羊飼いたちのもとに天使たちを送ろうと、神様は選ばれた。それが、イエス様誕生に続くクリスマス第二幕の始まりでありました。

「あなたがたのために救い主がお生まれになった。」これが天使の告げたクリスマスメッセージですが、羊飼いたちの心には「あなたがた」という言葉はぴんと来なくて、他人事に思えたのじゃないかと思います。というのは、当時の羊飼いたちは羊の放牧で野原を巡りますから言わば引っ越しばっかりしておって定住してない。定住せんから近所づきあいの仕方もわからんし友達もできん。でも羊を売りに行ったり色々買いに行ったりして人付き合いはせないかんのですが、行く所行く所でよそ者ですから、向こうも受け入れてくれん。店でモノがなくなったら羊飼いが真っ先に疑われたと言われます。お互いに信頼関係を持てないまま、どうせ引っ越しするからというのが自分たちのライフスタイルや態度になっていく。礼拝にも行きにくいし、羊の解体をしたり皮なめししたりしていると、当時ユダヤ教の会堂に行っても宗教的汚れの状態にあるという理由で入れてもらえない。だから聖書の御言葉も、神様が与えて下さっている救い主の約束も、聴く機会がないんです。知っていたとして噂話の類でしかなかったかもしれない。こういうことらしいでえと。皆さんも体験があるかもしれません、噂話は私たちに漠とした恐れや興味は与えても、慰めを与えはせんのです。現代の世間のクリスマスもそうでしょうか。一体どんな慰めを与えるのでしょうか。

その慰めを知らなかった羊飼いたちを、神様はどうしてクリスマス第二幕の大事な場面で選ばれたのか。神様の約束など知らんのに、いえ、神様の約束を知らなかったからこそ、だからこそ羊飼いたちが選ばれたのです。この約束は、それを聴いたことがあろうとなかろうと、すべての人に向けて神様が与えて下さっていた約束であったことを、どうか、あなたがたに知って欲しい、救い主は、あなたがたのためにお生まれになったのですと、天使は知らなかった約束の成就を告げたのです。そればかりでなく、自分たちの仲間以外の他人とは信頼関係を持てないと、神様とだって持てないとあきらめていた羊飼いたちの心の扉を開いてほしいと、神様から言われていた特別なことをし始めます。羊飼いたちのためだけに開かれた天使軍団の聖歌隊コンサートです。その夜の満天の星空を埋め尽くす天使の歌声は、その後羊飼いたちがベツレヘムの人々に、こんなことがあったって伝えたとき、え?って不思議に思われるのですから、他の人々にはどうも見えてなくて、言わば旧約聖書の預言者たちが神様によって目を開かれて見ることができた天の光景、聖書で幻と呼ばれる神様の現実であったようです。そして事実、羊飼いたちは、預言者のなすべき行為として、人々に神様の約束の言葉を知らせて歩きましたから、やはり他の人々には見えてなかったと思われる。とすると彼らだけのために神様はこれほどの配慮をされたのです。すごい贅沢な思いきったことをなさるなあと思います。神様に言われて駆り出された天使たちは、天使軍団の賛美を聴く会衆が、ほんの一握りの羊飼いたちだったのを見た時、内心、驚いたかもしれません。でもきっと感動したにも違いないのです。神様は、この人たちのことをここまで思っておられるのだと、この人たちに知って欲しいのだと、心から神様の栄光を、そしてその神様の御心が注がれている人々に、そう、この人々に平和がありますように、この人々に神様からの慰め、救い主とこれから永遠に続く平和と信頼の関係がありますようにと、心から歌ったに違いない。

そしてその歌は届いたのです。羊飼いたちは互いにこう言いました。直訳します。主が「私たちに」知らせてくださったこの出来事を見よう。私たちに知らせて下さったんだ。神様が今なさっていることは、私たちと無関係ではない。じゃあこの救い主も、私たちの救い主なんじゃないかって、自分とは無関係ではなくなったから、見に行った。人ってそうです。自分と関係ないと思ったら行きません。でも行った。そして見たのです。飼い葉おけに眠る赤ん坊を。神様が言われた通りやった…でも何でロバや家畜が餌を食べる貧しい餌箱で寝かされているのかと、自分らも世間の人並みの生活はできてないけど、赤ちゃんが生まれる時は、もっと環境を整えるのにって同情したかもしれません。でもきっと近くにも感じたのです。嬉しくも思ったと思います。もし救い主が宿屋にいるって聞いてたら、私たち、そこには行かなかったかもしれないって。でもここなら来れる。このご夫妻も迎え入れてくれた。そしてこの赤ん坊も、いや、この救い主こそ、私たちを受け入れてくれた。本当に仲間になってくれたんだって思える。あなたの仲間だという言葉よりずっと本当にそう思えるって、飼い葉桶に生まれた救い主の貧しさに、さっきの天使軍団の贅沢な貸し切りより、豊かな気持ちにされたのでしょう。

それがわかるのは、この後彼らが、町の人々にこの出来事を知らせている姿を見るからです。心と魂が神様に豊かにされたら、人の目よりも豊かさが勝って、人に知らせたくなるのです。天使が歌った通りです。彼らに平和が来たのです。天使は貸し切りだったけど、救い主は貸し切りじゃない!天使が言った「あなたがたのために」って、あなたのためでもあるのですって、知らせたい平和が来たのです。こんな贅沢な平和をくださる救い主が、私たちのために生まれたのです。