2月でございます。

本日は数ヶ月ぶりの聖餐式を行うことができました。
イエスキリストが人となられ、肉体の弱さと罪をすべて背負って
命を捧げてくださったのは、まさにわたしのためでした。
イエスキリストがわたしの罪のために死んで
3日目によみがえられたことは
わたしも生きていい、いま生きることも、死んだ後のことも、心配しないで神さまを信じて生きていい、ということだと思います。
聖餐式は、パンと葡萄液を、目で見て口にして、
主イエスキリストの救いを味わう時です。
それを一人ではなく、同じくイエスキリストを信じた人たちと一緒にできることは
このうえない喜びなのです。
ハレルヤ
主が誉め称えられますように。