12/3/4礼拝説教@高知東教会 ルカによる福音書23:26-31、ホセア書10章3-8節 「わたしはいいから」

12/3/4礼拝説教@高知東教会

ルカによる福音書23:26-31、ホセア書10章3-8節

「わたしはいいから」

 

先週の礼拝後、4つの教会が南国教会に集まって伝道協議会を行いました。主が私たちに命じられ、よろしく頼むと教会に託された伝道を、どう具体的に行っていくか。協議をしまして、予想していたよりも濃い内容と、具体的な方向が与えられ、大変励まされました。その内容は、それぞれに資料をお読みください。そして、そこにある協議内容を自分の事として、祈って頂きたいと心から願います。一言で、そのテーマを抜き出して言えば、教会が主に託された伝道をしていくということは、まず自分の生活をとか、まず自分の教会をとか、そういう自分を捨てて主にお従いしていくところでしか、担えないのではないかという、伝道の基本イメージです。今朝の説教題も、言い換えれば、自己犠牲です。自分を犠牲にしてでもいいから、わたしはいいから、わたしは別にかまんからと、隣人のために尽くす。これが心に伝わるところで、伝道がなされる。でなければ、勧誘と何が違うかということになる。けれど自己犠牲が払われて、それが心に届くときには、言葉を超えて心でわかる。十字架の救いも、自分ごととしてわかるのじゃないでしょうか。

次週の礼拝は3.11を覚える礼拝ともなります。多くの被災者のために祈りを合わせますけれども、なら被災者のために祈る、また犠牲者のためにも生きるというときには、私はその方々のためにも自分を変える、その犠牲に応えるのだという態度もまた必要ではないかと思うのです。戦後の日本はしばらくそうした態度で生きてきたと思います。また愛する人を失った方々も、今真実にそう生きようとしていらっしゃると信じて疑いません。特に、逃げてください逃げてくださいとスピーカー放送をし続けて命を失った役場職員の方々とか、大勢の方々が、自分を犠牲にして他人の命を優先された。その記事を読むたび襟を正します。またそこでイエス様の死が、私たちのための死であったことも、改めて胸に込み上げてくるのです。

牧師として10年、キリスト者として約20年、イエス様の救いを人々に証してきましたが、ますますその中心に十字架があることを、神様の自己犠牲の故にこそ、私たちが罪赦されて救われるその愛と恵みとを、キリストの栄光の死を深く思わされます。それが心でわからんなってしもうたら、牧師はやめないかんとも思うのです。皆さんもそんな説教は聴きとうないろうと思います。ある牧師は、教会学校でもそれは同じだと、厳しく、しかしまこと適確に教会学校教師たちを指導され、当時多かった、マザーテレサのお話とアルベルト・シュヴァイツァーのお話を説教でするのを禁じられたと聞きます。どちらも自己犠牲の貴さを伝えながら、イエス様の十字架、神様の愛を語るということでしょう。が、その多用を禁じられたというのは、他人の自己犠牲だけに頼ったら、結局キリストの十字架を、自分ごととして語り得んのではないか、自分の十字架を負って自己犠牲を払って主にお従いしていくところでこそ、主の弟子として、十字架の救いを自分事としてわかって語りうるのだと、そう問われたのではないかと思うのです。いや~教会学校の先生は大変やと、他人事に思われる方はおらんと思いますが、イエス様に従って、自己犠牲の愛に生きるところで、イエス様の救いを伝える伝道に生きられるのだと聴いて、果たして尻込みせん人がおるのでしょうか。確かに襟を正しながらではあっても、臆さない人などおるかとも思うのです。

今読みましたこの場面、十字架を負って歩んでいかれるイエス様に、ここで従った人々は、十字架につけろと叫んだ民衆と、泣いている婦人たちです。弟子たちの姿は見えません。当時の処刑方法として死罪人が自ら十字架の横木を処刑場まで運ぶ。それを、途中イエス様が崩れ落ちられたのか。じゃあお前!と他人に担わせる。どうせなら弟子が名乗りを上げて担ぐところでしょうけれど、弟子は臆して、そこにはおらん。だからそこにおった者が強制的に横木を担ぎ、イエス様についていく。その後を無責任な群集と、嘆く婦人たちがついていく。

やっぱり最後に頼りになるのは、婦人会か(笑)とも思いましたが、調べてみますと当時は泣き女という職業もあって、お葬式とかで泣く。葬式を出せん人の場合、ボランティアで泣くことで、言わば功徳を積むとも考えられておったようで、そういう方々かもしれない。少なくともイエス様がここで呼びかけられたご婦人方はエルサレム地元の婦人たちで、イエス様とガリラヤ地方から旅をしてきた婦人の弟子たちではないようです。けれどいずれにせよ、イエス様は、ご自分のために泣いている人々に向かって、何故わたしのために泣くのか。むしろ自分たちのために泣きなさい。その涙は自分たちのために、またあなたの子供たちのために流しなさいと言われる。ちょっと冷たくすら思える。でも何故かという理由を、続いて旧約聖書の預言を引かれて言われるのです。それは、およそ40年後に襲い来るローマ軍によるエルサレムの破壊、そして大勢の死という、今まで犯し続けてきた罪に対する神様の裁きが避けられないという事実があるからです。主は既に、そのことを語ってもこられたのです。だから、自分の罪がどれほどの裁きに相当するかをわきまえて、そのためにこそ泣いてほしい。悔い改めの涙を流すことをこそ、わきまえて欲しいと言われるのです。エルサレムのため既に涙を流してくださった主が、またそのためにも、今その罪の身代りに死にに行こうとされている神の子羊が、あなたがたは自分と自分の子供たちのために泣く涙を持って欲しい、悔い改めの涙をわきまえて欲しいと言われる。もしこの婦人たちが、自分たちに迫り来る罪の裁きを絵空事に思って、単なる同情の涙を流すなら、十字架の真意、神様の覚悟は、涙に遮られ見えてないからです。ならばこそ罪の裁きの厳しさと、その裁きを受ける厳しさを、主は、十字架で引き受けられるのです。

生の木さえこうされるというのは、神様が、ご自分の御子、しかも罪を犯したことのないイエス様に対して、本当にここまでなさるのなら、罪の裁きを受けるべき当事者は、どうして神の裁きなどないと、悠々とかまえておれるだろうか。いや、必ず裁きはあることを悟って欲しい。生の木さえ燃えるのなら、枯れ木には、今にも火がつきそうじゃないかと説得をされている言葉です。今までずっと沈黙を守っておられた主が沈黙を破られて語られた言葉とは、ここにあなたの裁きを見て欲しい、そして悔い改めて立ち返って欲しいという、伝道の言葉でありました。裁きの日に、丘は覆ってはくれんからです。たとえ山が崩れ落ちても、罪が覆われることはないからです。ならばこそ、主は私たちの罪を身に背負い、十字架の上で私たちを背負って、わたしが死ぬのは、この人のためです。この丘で、わたしが覆い隠すその罪を、わたしが引き受けたこの人を、どうか赦して受け入れてくださいと罪を覆ってくださった。それが十字架の裁きです。罪ゆえに決して避けることのできない裁きであればこそ、愛ゆえに主が引き受けられた裁きなのです。

その裁きの十字架を主は負われて、赦しの十字架を背負われて、しかもその救いの十字架の一端を、神様は、そこにたまたま居合わせた人、キレネ人シモンに、あなたもその一端を担ぎなさいと任せられました。無論、彼が世界の罪を背負って死んだというわけではありません。世界の罪を覆ったゴルゴタの丘まで、ちょっと運んでいっただけです。主の血潮でその肩を濡らしながら、主の十字架を少し担わせて頂いただけに過ぎません。けれど他の福音書にはこの人の子供たちの名前も記されていることから、この人は後に、イエス様の弟子となったと言われます。名前が知られておったほど、主の弟子となるということはどういうことかを、後の世に伝える人となったのです。強いられた十字架という言葉もあります。しかしそこでこそわきまえることのできる、十字架の恵みもあるのです。このシモンと二人の子を歌ったゴスペル曲もあります。父親のシモンが子供たちの目の前でローマ兵に無理やり横木を担がされてイエス様について行く場面を歌うのです。子供たちは大人たちの群集に遮られ、泣きながらついていく。しかし過越し祭を祝うために連れていた小羊を、群集にもみくちゃにされる中で、逃がしてしまう。群衆の後から、やっと父親に会った子供らが、ゴルゴタの十字架のもとで泣きながら言う。お父さん、過越しの羊が、罪を赦すいけにえの小羊がいなくなってしまいました。その子供たちを抱きながら、父親は、先祖アブラハムに与えられた神様の約束、そしてモーセに与えられたいけにえの小羊の意味を説き明かし、その後、十字架のキリストを見上げて言うのです。見なさい、神の小羊だ。

最初は何かわからなかったシモン。でもまるで神様に捕まるようにして、主の後に従う者にされて、そのシモンの後に、子供らも、また民衆もついていく。そのときは見物客のようではあっても、そこでイエス様の後について行く。そして十字架に行くのです。世界は十字架に行くのです。やがて来たる世の裁きの日、キリストの前に立つときに、本当に泣くことができるため、しかもただ悔いる涙をのみでなく、神様に罪を悔い改めた、改まった涙を流すため、赦された涙を流せるように、神様は十字架の救いをくださいました。イエス・キリスト、神の小羊をこの世に与えてくださいました。そのキリストの十字架の救いを、教会は、主の十字架の一端を担いつつ、世界に伝えていくのです。