マタイによる福音書22章15-22節、詩編139篇13-24節「ジャイアンな世の中で」

25/11/23主日朝礼拝説教@高知東教会

マタイによる福音書22章15-22節、詩編25篇12-14節

「ジャイアンな世の中で」

では私たちは、誰のものなのでしょうか。説教題につけたドラえもんのジャイアンのように、俺のモノは俺のモノ、俺のいのちも俺のモノ、なあスネ夫と、この世も思っているのかもしれません。でも命を神様にお返しするという言い方が真実であるのなら。そして確かに返さないといけない。これは命の真実に対する究極の問いとも言えるでしょう。

ヘロデ派が用いた言葉で「真理」という言葉が出ます。マタイでは、ここだけに出る珍しい言葉です。つまり、これで罠に乗ってくるろうと。先生は正しいですね、では私たちの神様を信じないローマ皇帝の支配に従って税を払うのは「律法に適ってますか」。もとの言葉で言えば、当然そうという正解か?真理ですか?あなたは正しい方だとお見受けします、正解を教えて下さい。人なんか気にしてないでしょう?と罠をかけた。

ヘロデ派は、皇帝からガリラヤ支配権を得たヘロデ・強い側にスネ夫のようにくっつく派。ファリサイ派は、外国による支配は嫌なのですが、もっと嫌な敵を負かすため仕方ないと折り合いをつけて、税を払うのは正しくないとイエス様が言ったら皇帝への反逆を扇動している!と自分の言いたくないことをヘロデ派に言ってもらおうと。ヘロデ派あるいはスネ夫も(笑)、自分より力がある人と一緒におったら、嫌なこともあるけど得もするからと、どっかで折り合いをつけ妥協して生きるがが人間やないがと。けんどイエス様は折り合いをつけないで!聞きゆう自分らがグーっ正しいと思う、でも自分は間違ってないと思うから、むかつく。言い負かされただけだと思う。で言い負かせる以上の言葉の罠を張って、嫌な相手に勝つために一緒に罠に誘い込む話を共謀したのか。

つまり、相手はこう考えるだろうと予測する場所に!罠を張るのです。ただ何で相手はこう考えると思うのか。自分に、そう考えるパターンがあるから、きっと相手もと、自分の枠組みで考えて。でもそれで自分で自分の罠に陥るのは、神様が人間の勝とうとする枠組みで考えてないからです。

「皇帝のもの」と言われた国家支配は、短く言うと神様から任された管理だと聖書全体が教えます。だから税金と信仰は矛盾しないと。ただ、その内容は、この御言葉で主が求められる中心ではないので飛ばします。ファリサイ派たちが驚いて立ち去ったのも、そこではなく、自分は神様のものとして自分をお返ししているかと、ハッとしたからだと思います。

神様のものは神様にお返しする。それが神様のご支配の真実だと主が言われたのは、でも重ねて言いますが言い負かすためではない。むしろ神様のいのちのご支配に生き損ねて、相手を負かしたいという悪の罠に捕らえられてしまう人間を悪より救い出すために、こう考えてほしいと、悪から救われるための話をされている。それが今日の御言葉です。

「何故わたしを試すのか」とも言われます。つまり、あなたは自分の枠組みで、わたしを考えているが、反対に、あなたが何を考えているか、わたしは知らないと思っているのだろうか。あなたの隠している思いを、わたしは知っている。知っているか試さないでいい。知っている。痛み苦しみながら知っている。その悪から救われて欲しくて、あなたを迎えに来た、わたしは主、あなたの神だと、試さないでいいと求められる。それが私たちの悪を全て引き受けて、代わりに裁かれて、さあ父のもとに一緒に帰ろうと救いに来て下さった、人となられた神様だからです。あなたは我らの父のものだろう、だからわたしが来たのだろうと。

人は、自分の求める生き方を、どう自分のものにするか、人とも自分とも折り合いをつける落としどころを求めて、つい神様とさえ折り合いをつけられると考えてしまうかもしれない。でも神様が求められるのは、落としどころではなくて、どこからなら一緒に再出発できるかと。人が、赦されて、神様のものとして再出発できるためなら、わたしのほうから自分を捨てる。歩み寄るからと。何も捨てる必要のない神様がご自分を捨てられて、だからあなたも古い自分は捨てて、一緒にやり直そうと、私たちが神様のものとして帰って来れる道を創って下さったのです。

本当は神様のものとして返さないかんのに、本当に返すことになるのに、自分のものにして汚してしまったいのち、人生。それを先に祈った主の祈りの、もとの言葉では、神様への負い目、返さないかん負債だと言います。その負債を、もう返しようのない負債も一切合切を、神様が、代わりに返すからと、いのちに換えて返すからと、人となられて代わりに裁かれて、イエス様が全て返し切って赦し切って愛しきって下さって、さあ、天の父のもとに帰ろう、一緒に!そして今もこれからも、一緒に父の家族として生きようと、完全に受け入れ、愛し抜いてくださる。

それが「神様のもの」である、私たちの救いなのです。わたしは主、あなたの神だと、それが本当に神様の真実であって、それがイエス様と私たちの共に生きる真実だから、私はあなたのものです、我らの父よと、共に生きる生活の再スタートを、ここでイエス様とやり直す。何度でもやり直すのです。神は愛です。私たちはこの神様のものだからです。