25/9/7主日朝礼拝説教@高知東教会
マタイによる福音書20章17-28節、詩編22篇2-3節
「人に仕える王のご支配」
もし私が余命宣告を受けたら、家族に、また皆さんにも予め心の備えができるように伝えると思います。聴いたから言うて心備えられるものでもないでしょう。でも言われないよりは備えられるから、そのために言い方も配慮して、考えて伝えるのではないでしょうか。
でもゼベダイの息子たちヤコブとヨハネ、その母もなのか、あるいはイサクの次男ヤコブが母を利用したヤコブっぽいことをしたのか。彼らは十字架の道の心備えより、自分たちはこうなりたいという腹積もりのほうが強かったようです。
イエス様の前に来て「ひれ伏し」というのは、ただごとではない強い姿勢です。不治の病の癒しや赦しを人々がひれ伏し求めた、それほどに強い願い。ただ、癒しの求めは重荷が取り去られる求めですが、これは何かを得たい求め。敢えて言えばマイナス・赤字の除去でなく、利益・黒字が加算される求め。世のイメージで言えば内閣への入閣では足らず、ナンバー2・3の座に就きたいき、そう成ると「おっしゃって下さい」と。前に異邦人の百人隊長が「ただ、ひと言(御言葉を)おっしゃってください」(8:8)と願った時、主は「こんな大きな信頼はイスラエルで見たことない」と言われました。でも、この親子の求めは信頼から出たのか。求めが、どこから出るか。どんな支配から出た、自分の求めかなのか。
4行目で「王座にお着きになる時」の直訳は「あなたの御国において」。この御言葉も「御国」つまり天の父が御子によって実現される「ご支配」が、どんなご支配かを教える御言葉です。父のご支配が分からんから、だから父の求めとは逆さに向いた求めを、求めてしまうのじゃないかと。それで主は先に話された十字架のご支配とは、真逆の求めをする彼らに、十字架の苦しみの杯を飲めるかという話をされます。はい!言う彼らに、でも誰が横に座るかは、わたしが決めるのではないと。吉本なら三人がズッコケる場面(笑)、ひっくり返る!場面です。
じゃ何で尋ねたんすか?と問われるなら、それは十字架を負う苦しみを、自分が人より上になる条件だと誤解しているのを知って欲しいから。十字架のご支配を、我が事として!知って欲しいから!敢えて問われる。
これ他人ごとではないと思うのです。後にイエス様ご自身「この杯を、できることなら過ぎ去らせて下さい」(26:39)と父に願うほどの杯です。自分にとって十字架を背負うことは決して望ましい心良いことではない。あるいはそのことなら皆、知っている。主が「自分を捨て自分の十字架を負ってわたしについてきなさい」(16:24)と言われた自分の十字架を負うことが嫌なことは、主も知っている。なら何でイエス様は、十字架を負ってついて来なさいと言われるのか?そのお気持ちが分からない。あるいは頭で分かっていても、主のお気持ちに共感しないのでしょうか。
主に背負われ救われたい。でも自分の重荷を負うのも嫌なのに、何で人の救いという重荷を負って、そのために自分を捨ててまでイエス様について行かなければならないのか。神は愛だから。それが答えだと頭では分かっているけど、共感したくない、分かりたくない部分がある。
その苦しみを負うためにも神様は「人の子」となられた。そして18節19節で繰返し「引き渡される」「引き渡す」と、十字架の救いのご支配を強調されます。全部自分で自主的に死んだというお偉いご支配じゃない。自分が!先になる、この世の人間の支配とは違うのです。苦しくて逃げたいのに、でもあなたのためなら!と、自分が引き渡されてしまうのが、神様のご支配から出た愛だと、本当は誰もが知っているのだと思います。なのに自分が!って思いたい嘘の私たちを、主は、わたしが背負うから、あなたもその自分を否定して、ついて来なさいと、神様の愛の十字架のご支配の内に背負ってくださる。だから、ついて行けるのです。
自分がやらな!とか、苦しくても自分がと、自分の思いが成る事が、自分の支配が基準の時は、十字架のご支配を誤解している。その自分を捨て、ごめんなさいと分かるのが、私たちのためにご自分を捨てられる神様のご支配、憐れみのご支配でしょう。自分のためには嫌な杯なのに、なのに隣人・家族の救いを求める神様から出た憐れみに支配されるから、まるで自分が救いに引き渡されるようにして、はいと主のご支配に従う道を求めるのでしょう。そこに御国が来ているのです。
その御国が来ますようにと「願いなさい、そうすれば与えられる」と主が求められるのは(7:7)、それが父の御心だからです。そこに悪から救い出されてほしいと求められる、父のご支配が来るからです。
ヤコブたちに腹を立てた他の弟子たちも含め、つい人に対し、卑怯なと腹が立つ一同に向かって、だからわたしは来たと、弱い人の子として、死に定められ裁かれに来られた神様が、だから、あなたも引っくり返りなさい、まるっきり方向転換して、十字架のご支配に引き渡されなさいと導かれるのです。わたしは主、あなたを罪と死の支配から導き出した神だから、わたしについて来なさいと、救いの王が招かれるのです。