24/3/31復活祭召天者記念礼拝説教@高知東教会
マタイによる福音書9章1-8節、詩編22篇23-32節
「人よ死から起き上がれ」
「起き上がって床をかつぎ、家に帰りなさい」。復活祭召天者記念礼拝を捧げている私たちに、また神様はぴったりの御言葉を与えて下さったと感謝しています。本当しょっちゅう、おお!という、自分で選んだのでない御言葉の巡り合わせが与えられます。神様との出会いも、救いの時も、そもそも私たちがいただいた命そのものも、自己責任で選んだのではない、神様からの恵みとして受け取る時に、ありがとうございますと、命の姿勢が楽になる。そして信仰の姿勢も楽になる。復活の約束の中で、十字架の神様のもとに召された、私たちの愛する者たちの存在も、イエス様、よろしくお願いしますと、信頼してお委ねできるのです。
「起き上がって床をかつぎ、家に帰りなさい」。脳出血で起きられなくなった、この人を、そしてすべての人を背負われ、十字架で命の償いを成し遂げるために人となられた神様が、そう命じて下さいました。神様の赦しの権威によってです。この御言葉を、やがて私たちが聴く復活の御言葉を先取って言い換えるなら、主は私たちに、こう命じて下さるのです。起き上がって、墓を空にし、一緒に父の家に帰ろう。
礼拝後、愛餐会を共にした後に、教会墓地で墓前式を捧げます。でも、やがて、もう墓前式を捧げなくなる日が来ます。墓を空にし、イエス様と一緒に父の家に帰る日が来るからです。
そのために、父・子・聖霊の三位一体の、御子が、人となられました。私たちの罪の裁きを代わりに引き受けて死ねるようにです。罪の報いを全て引き受けて、私たちを報いから救い出せるように、人となられた。
その救い主のご存在の在り方、人が、御子の身代わりの死で赦される在り方が、「人の子」という一言に凝縮されます。6節の御言葉です。
「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることをあなたがたが知るために」。それが直訳です。知って欲しいのです。どんな神様なのか!を。親子関係で譬えるなら、我が子のためなら何でもできる親の愛の権威を、もし子供が信頼しなくて、私が!愛されるため頑張りゆうき愛されるがやろう、もし失敗したら愛されないし、人として生きている意味もないと、もし勘違いしていたら、あなたのためなら死ぬことだってできると知って欲しい。そうじゃないでしょうか。もし、人はそうでなくっても、神様は本当に死なれる。イエス様は、あなたは神様の権威を勘違いしてないかと迫られます。それは、できる人を救い、できん人を裁く暴力的で悪魔的な権威では決してない!罪は裁かれます。でもその罪の報いを、あなたの代わりに十字架で全て引き取って、死ぬために人となることを、断じて厭わない、あなたと同じ人から生まれる弱い「人の子」となって、身代わりになる!それが、あなたの罪を十字架で裁いて赦す、人の子が持っている赦しの権威だ!そのわたしを、あなたの主として知って欲しい!それが、この時、人の力では起き上がらせられない人を、御言葉の力で起き上がらせた、見える形で現わされた、赦しの神様の権威です。
今日、これからまいります教会墓地に眠っておられる兄弟姉妹たちも、この十字架のイエス様の、赦しの権威のもとに眠っておられます。生前、その赦しの権威のもとにひざまずき洗礼を受けられた、その一人一人に、人の子イエス様は、たとえ耳には聴こえなくても、目で見て体で知る形、洗礼によって「あなたの罪は赦された」と固く約束されました。「赦される」と訳されたのは、もとの言葉が現在形の受け身だからで、受け身を強調すれば「赦された」。たった今!というキリストによる赦しの現在!を強調したので、ここでは「赦される」と訳されます。十字架の命がけの宣言を、ここでイエス様はなさるのです。この時点では未だ死なれてなくても、それは時間の問題です。そもそも死ぬ必要のない天地を創られた聖なる神様なのに、私たちの罪を赦す代わりに、人の子となられて死にに来られた神様が!言われるのです。わたしは必ず死んであなたを死から救い出す。わたしがあなたを償い、あなたを赦す、わたしは主、あなたの神だからと。
先に譬えた親子の関係で改めて言えば、誰が生んでくれと頼んだと、あるいは親との信頼関係が壊れた子供が心の中で思ったことがあっても、親が赦すと決めたら赦される。その関係が嫌なんだ、引っくり返したい、赦されないかんことがあるなら、その赦しを自分で勝ち取りたい、自分で自分でと思っても、その人が命を受けたという受け身の事実は、どうしても引っくり返せないし、その命を人は返さないかん。その返済の時、命の総決算があるという命の厳粛な事実を、人間は引っくり返せない。だからその命を、神様が償うために人となられ、代わりに裁かれ死んで、償って赦す!死んで尚、復活させて、永遠に人を神の子として取り戻し、神の家族として生きるという大逆転の救いを、あなたたちに恵みとして与える!と来て下さった。それが「人の子」イエス様なのです。
その十字架と復活の「人の子」キリストの救いを、信頼するのです。「起き上がりなさい」と言われる主の御言葉を、皆で一緒に聴くのです。