25/11/2主日朝礼拝説教@高知東教会
マタイによる福音書21章33-46節、詩編118篇22-25節
「預かり物は誰のもの?」
この譬えで言われる主人は神様。主人から遣わされた僕たちは預言者たち。そして農夫たちは、神様が望まれる世界の救いを収穫するために働く契約を結んでいたイスラエルの民。であったのに、その農夫たちが収穫どころか、言わば天国の所有権まで強奪し始める(11:12)。彼らは、御言葉を語る預言者たちが嫌われ殺されてきた旧約の歴史を、知らないわけではないのに。何で御言葉を語る預言者が嫌われたか、知っているはずなのです。神様の義しさは嫌という生き方を選んだら、その結果を刈り取ることになる、裁かれるという、聴きたくない現実を語ったから、預言者は殺されたと知っていたのに。うん、けんど自分とは関係ないと、こう答えたんでしょうか。そら主人は、その悪い農夫たちを、直訳は「滅ぼすでしょう」と。事実この後イスラエルが滅び、民が散り散りになることを、この人たちは、自分の口で預言してしまうのです。
そういうことって、私たちもあるのかもしれません。それをしたら、どうなるか、分かっているのに、自分でそれをやってしまうこと。ないでしょうか。私はあります。例えば学生時代から何で一夜漬けになるか。後で大変になると分かっちゅうのに、まだ大丈夫と意味わからん自信があって後回しにして、しかも一夜漬けの最中に部屋を片付け始める(笑)、現実逃避する生き方が、この歳になっても直らない。分かっているのに。人に、それをしたら大変でと、しかも少し不機嫌に注意さえするのに!それ、自分で自分に預言しているのです。それは、おんしのことやおと。これ、もし私だけだったら、どうか憐れんで助けて下さい(苦笑)。
本当に!どうすればこの生き方を、生きる態度と方向!を直せるのか。現実逃避を逃避して、その時その時に選ぶ生き方を、いや、これを!と、どうしたら神様が望まれる方向に転換し、悔い改めることができるか。言わば気分転換するように。これ、しんどいけど、でも父よ、あなたの御心が私にも行われて、今は嫌々であっても、でもやろうと、不思議に気分の方向さえも変えられる御国を、あなたのご支配を私に来たらせてくださいと祈るとは、どういうことか。それがこの御言葉で繰返される「僕たち」、預言者を、つまり頑固一徹にと言いたくなるほど何が何でも御言葉を私たちに届ける!という恵みでしょう。私たちが御言葉を聴く、実際に聖書の御言葉を自分のこととして得ることが、そこで気分転換も、生き方の方向転換さえ起こされる神様の働きかけだからです。私自身の経験からも改めてそう思わされます。でも私も含め、今ここで!聖書を読んで御言葉の力に寄り頼んで方向転換せないかんという場面で、またきっとそこに主が送られた聖霊様の働きがなされている場面で、厳しい譬えですけど、農夫が預言者を殺すことがあるのではないか。
それでも、なのです。私たちの主は、また預言者を送って来るのです。農夫たちからしたら、もうやめてと思うのかもしれない。何で分からん、分からん主人が悪いとさえ思って預言者を殺して。それでも主は預言者を遣わして。何だこれ?頑固勝負か?どっちが頑なか勝負かと。まるでリアルな夫婦喧嘩のように(笑)、自分の弱さ汚さが、どんどんメッキが剥がれるみたいに裸にされて。それで怖くなって、神様、助けて下さい、と御言葉の恵みに駆け込むことも、あると思う。怖くなって教会に来るのも神様の恵みでしょう。農夫たちも、そうやって怖くなって悔い改めたなら、ここまで預言者を殺されても殺されても送られる父が、赦してくださらないはずはない。そうやって私たちも、助けを求めて御言葉に逃げ込めば、そこにこそ神様が預言者を送り続けられる目的が、きっと成就するのです。
それでもと、イエス様が、負けない農夫たちを描くのも本当に現実的だと胸が苦しくなる。違うでしょうか。その農夫たちの最後を、当時のイスラエルの代表者たちが預言したように、あるいは私たちもこの世界の将来を預言できるでしょう。何を根拠にか。農夫たちに預言者たちが命がけで伝えた御言葉を根拠に。そしてイエス様が、だからこそ預言者の大量死で話を終わらせず、ご自分が殺される話をされた理由を根拠に、農夫たちの働きを委ねられた教会は、自らの弱さ汚さにもかかわらず!このキリストのご支配の内にある世界の将来を預言できるのです。何と預言するのか。私たち、そして私たちの世界は、どんなに御言葉を殺し自分たちの汚さを証明してしまっても、だからこそ!その罪と死を償いに御子を与えられた、信じがたいほどの神様の十字架の奇跡によって、私たちは負けてしまう将来を迎えると預言できる。下の段44節で主が「この石の上に落ちる者は打ち砕かれ」と言われたのは、あなたがたは負けると保証して下さったのです。あなたがたに、わたしは捨てられるけど、でもかまん!捨てられることで、あなたがたの滅びを滅び、裁きを引き受け、罪に汚れ棄てられてかまん!それが捨てられても負けない、わたしは主あなたの神やき、後でもえいき、わたしのもとに来なさいと主が言われるから、だからキリストを、私たち農夫は宣べ伝えるのです。