11/17の礼拝

本日は高知分区講壇交換で土佐教会から成田牧師にお越しいただき、『狭い戸口』という説教題で聖書のメッセージをいただきました。

礼拝後は教会会堂内の大掃除!

上から下までハタキに掃除機、カーペットみがきからエアコンフィルター清掃まで、超はたらく教会員!

それでは、キレイになった教会をどうぞー!

おっっ、曇り空〜〜〜(笑)……じゃなくて、

分かりますか磨かれたドアガラスの美しさ!!ピッカピカ。

会堂の写真を撮り忘れたのですが、きれいになりましたよっ(笑)

その後のご褒美ランチのパンが格別おいしかったです!

みんなが帰った後、筆者は残ってクリスマスカードの作成に取り掛かっていました。

さっきまであんなに賑やかだった教会にポツンとひとりでいると、なんだかさみしくなりました。

しかもだんだん雲が多くなって急に大雨に…

あんなに楽しかったのにな。筆者の心もだんだん雨模様…

しかも手先の不器用な筆者は思うように事が進まず、それをフォローしてくれる仲間もおらず、

ひとりで試行錯誤、ひとりで失敗、ひとりで黙々と繰り返しておりました。⁠:゚⁠(⁠;⁠´⁠∩⁠`⁠;⁠)゚⁠:⁠。

でもYouTubeで流し聴きていたクリスマス・ワーシップソング(ポップでナウでヤングな讃美歌)の歌詞の一節に、こうありました。

「One child born in the stillness Emmanuel.

Living within us Emmanuel.」

〜〜ひとりの子どもが静寂のなか生まれた。インマヌエル。

私たちとともに生きている、インマヌエル。〜〜

「インマヌエル」は「主がともにおられます」の意味です。

しかもここでの Living within us…では、単なる「一緒に生きる」じゃなくて、

私たち人間のところまで神である主が、おりてきて、目線をあわせて、人となって…という意味合いが込められているように思いました。

神である主が、私たちの今この現状、リアルに生活しているなかにいてくださるということです。

「寂しいな」という思いがある私とでさえ、リアルに今ともにいてくださる。

人と同じどころか、その下の暗い闇の罪の底にまでくだられるほどに、私を愛しておられる主がいるかぎり、

私はひとりじゃないのです。ひとりではなかったのです。

そうして元気を取り戻した筆者は、失敗も恐れずどんどんたのしく作業ができるようになりましたとさ!!୧⁠(⁠^⁠ ⁠〰⁠ ⁠^⁠)⁠୨

失敗①キレイに切れないの図(こわカッター)

失敗②微調整し続けてどんどんサイズが小さくなる&揃わない用紙(さいごはあきらめた)

失敗③カッターでくり抜いた◯は何故いびつ…(さいごはあきらめた)

失敗④大掃除した後の会堂に転がすゴミ箱(ひろった)

それでも、主がともにおられます!

今週も、主がともにおられます!