コロサイの信徒への手紙1章9-14節、詩編143篇9-10節「人格で知る天の父の心」

21/8/29主日朝礼拝説教@高知東教会

コロサイの信徒への手紙1章9-14節、詩編143篇9-10節

「人格で知る天の父の心」

今朝の御言葉で集中するのは「神様の御心を」、どう求め祈るかです。知りたくないでしょうか。例えば、これから進むべき道、進路を決めるために。どんな仕事につくか決めるために。どんな人と結婚したらよいか決めるために。あるいは、どの病院にかかるか、どの葬儀社を選ぶか等の話も、実際、いいかげんに決めれることではないでしょう。そこで何を基準に選ぶのか。お金でしょうか。無論どうしても関わってくる。でも、一番先に考えるのは、お金でしょうか。何よりも先ず何を求めなさいと、私たちは御言葉から聴いてきたか。何よりも先ず、御国と父の義を探し求めなさい。そうすれば、一切はそれに加えて与えられるから(マタイ6:33)と、イエス様が祈りを教えて下さった。御国を、神様のご支配を与えて下さいと。私たちが何を求めるにせよ、それをどの順番で祈り求めるのか。そこに既に、私たちがどのように神様の御心を知ることができるのかが、教えられていたとも言えるのです。心の優先順位がズレていると、あるいは探し求めている方向が神様の愛のご支配からズレていると、見えているのに、わからない、人生の焦点があってないということは、あるでしょう。

それが9節で言われている、神様の御心を悟るための「知恵」だとも言えます。3行目の「霊によるあらゆる知恵と理解」。これを直訳すると「すべての霊的な知恵と総合判断の内に」御心を悟る。人の知恵と理解ではわからない。聖霊様から与えられる知恵と総合判断なしには、御心はわからない。お昼何食べようぐらいはわかります。まぁお腹痛いのにアイス食う時は、霊的以前の総合判断が欠けちゅうでしょうけど(笑)。神様が、あなたにはあなたが生まれる前からこの道を備えているというご計画は、どんなに優れた人間の総合判断を求めて、性格判断とか職業適性診断とかプロのアドバイザーやコンサルや、どんな他の総合判断を求めても、神様のあなたへのご計画はわかりません。主のご計画を知るためには、霊的な総合判断が必要だからです。

その霊的な総合判断を祈り求めることが、第一の霊的知恵でしょう。人間の判断では、わからんと知って祈る人は知恵がある。父よ、あなたを知る霊的な知恵を与えて下さい、あなたが私のために用意されている御心に歩みたいのですと祈る心に、霊的な総合判断の道は開かれます。

9節の、どうか以下を直訳するとこうなります。「あなたがたが全ての霊的な知恵と総合判断の内に、彼の求めを人格的に知る上からの知識をもって満たされることを」祈り求めて止まない。

単に御心を知るとか悟るのではなくて、御心の知識で「満たされる」。飢え渇きが満たされるように。福音書で、救いの時が満ちるのを待っていた、その時がイエス様の到来によって満ちたように。言い換えれば、御心を待つ渇いた心を、御心は満たします。だから、御心が満たすべき心を、別のもので埋めない。せっかちに決めない。総合判断を聖霊様は与えて下さいますから、祈って待ち望む。11節で「どんなことにも根気強く耐え忍ぶように」という目的を、この満たしは持つのです。総合で判断するには忍耐がいる。それは霊的な総合判断も同じです。

すぐ御心がわかる秘密の祈りや方法はありません。牧師が、内緒で。こうしたらすぐ御心がわかるけど、すぐわかったら説教を聴かんなるきという方法は隠してません(笑)。御心で満たされるのに忍耐がいること自体が、御心の内にある。それを知るのも、知恵の一つです。

10節の最後「神をますます深く知るように」。直訳は「神様を人格的に知る上からの知識に成長しながら」、御心の人格的知識に満たされる。これが祈りの目的です。つまり三位一体の神様との、愛と信頼の関係に成長することを抜きにして、魔術的に知る情報のような御心などない。神は愛です。その御心は、神様との愛の関係が成長する中で、総合的にわかる。そして関係が深まるには、時間がかかり、忍耐がいる。それが御心の秘密とも言えるでしょうか。御心がわかったら神様がわかるのではなくて、神様を人格的に知る中で、だから私にはこの御心なのだと、その神様の御心を知るのです。自分のための計画は何かという自分への執着心から出て、父との関係、イエス様との関係へと心が向かい、神様ご自身を人格的に知ることへと心と求めが変えられていく。その中で、父が子に、主が僕に用意されている御心の知識は満たされます。

そこに11節で言われる神様の栄光の力が働き、(12節2行目の)天の父への感謝と喜びが湧き出るのは、単に自分の求めが満たされたからではないでしょう。父との関係が満たされ、イエス様との関係が満たされることが喜びとなるから、父よ、ありがとうございますと感謝の祈りが自然と湧き出てくる。その源泉は自分ではない。自分の信仰でもない。三位一体の神様との関係から、感謝も、栄光も湧き出るのです。

だからどんなに、これが御心だ!と確信しても、なのに神様との関係が成長しないということが、もしあれば、それが御心か、思い過ごしや自分の願いを神の名前で語っているだけではないか、霊的な知恵と総合判断が必要です。そこで神様ご自身に飢え渇くなら、道は開けます。

また、10節は「すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み」と祈る。「すべての点で」。単に自分が求めている、このことについて御心を示して下さい、後のは、まぁ適当にというのはない。無論、例えば、お昼何を食べるかと、仕事を何にするかでは、重さが違う。主に従って人生を歩む中で、決断しなければならない責任の重さは、お昼と仕事では全く違う。すべての決断は同じ重さではない。その決断によって人生が変わってくる。また他の人々に与える影響、世界さえ変えるのです。そこで何より重みを持つのは、私たちがそこで「主に従って歩む」決断をしているか。そこに御心は満たされるからです。御心はその「全て」が「主に従って」、直訳は「主の価値に釣り合って相応しく歩むために」用意されている御心だからです。

その御心がなるために、父の御心を求めない世界の罪を、身代わりに負われた主に従うのです。その十字架の愛に、釣り合って相応しく歩むなど、とても無理な私たちを、だからそのあなたを背負って、わたしが一緒に歩むから、わたしについてきなさい、父の救いの御心に生きるのだと招かれる、イエス様に従うのです。そこに御心はなるからです。

その愛に、十字架の招きに相応しく歩むために、私は何を決断すればよいですかと、御心を求め祈る。この世のことではない、この世でどう自己を実現するかではない、父の永遠の救いの御心がなるために、私はどうすればよいですかと祈る者たちに、聖霊様はそのための知恵と総合判断を与えて下さり、何が御心かを満たして下さるからです。

私は6年祈って、私は牧師に召されていると言わば8割がた満たされていました。でも当時米国にいた私は、米国で牧師になるか日本でかがわからず祈っていました。正直、米国のほうが生活も、伝道も、敢えて言いますが圧倒的に楽で、救われる日本人も多いので、本当にわからず祈っていました。すると聖書大学の教授から、夏の宣教チームを日本に送るのに人数が足りんから、チャペルでアピールしてと頼まれた。皆にこう言いました。パウロが夢の中でマケドニア人から、私たちを救いに来て下さいと頼まれた話。私はあのマケドニア人です。皆さん、日本に来て、私たちを救ってくださいと涙ながらに訴えた。数日後、その教授から、Thank you幸生、人数が満たされたと言われた時、私の中でも、御心が満たされたことを知りました。日本で主の福音を伝えるのだと。

主ご自身が世界に御心の満ちるのを待っておられます。祈りましょう。