ルカによる福音書2章8-20節「暗い日常の中に天使が」

20/12/24クリスマスイヴ礼拝説教@高知東教会

ルカによる福音書2章8-20節

「暗い日常の中に天使が」

この帰り道の羊飼いたち、皆いい顔をしておったんじゃないかと思います。ぜんぶが天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。ほんまやった、アーメン、ハレルヤ!いうて神様をあがめ、賛美している人々の顔って、いい顔をしています。ここに立つ牧師と司式者はそれを知っています。いい顔をしようと思って歌うと、変な顔になるけど(笑)。賛美って本当に神様の御業だと思います。

ぜんぶ天使の話したとおりだった。と言いましたが、そんなに多くのことが天使の口から聴こえたわけではありません。うんと更にまとめて言うと、こうです。恐れないでいい。救い主はあなたがたのために生まれたのだから。飼い葉おけの話も大事ですけど、これは、え?どうして赤ちゃんがそんなところに?ありえんろうという、ありえん神様の救いのしるしです。十字架で、すべての人の代表として、すべての人の罪を身代わりに引き受けて死なれる神様のしるし。桶は桶でも棺桶としての飼い葉桶の中に生まれてこられた救い主が、この救い主が、あなたがたのために生まれてきたから、恐れることはない!恐れるな。神様はあなたが滅びることは望んでおられない。あなたの罪を裁くために神様は天の入り口で座って待っているのではない。たとえ神様を信じてなくて、自分を信じたり、何も信じない、あるいは誰かを信じるのは怖い、まして神様を信じるのは恐ろしく感じると、信じる不安を持ち、神様と信仰に壁を感じる人であっても、その壁を乗り越えて、神様のほうから来られたのです。そして私たちの不信仰や恐れや罪のある人生を、十字架の愛と赦しの内に包み込まれて、わたしは、あなたの救い主として生まれてきた!と、御子は生まれて来て下さった。そして不信仰と恐れの中にある世界と共におられて、その私たちが、この救い主と出会い救われ、恐れからも救われるために、天使を遣わされるのです。

私に遣わされた天使は太っちょで長野県から来た天使でした。いや、もう少し丁寧に言い直します。神様から天使を遣わされた羊飼いたちが何をしたか。「幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた」。天使。み使いとも言われます。種族の名前でなく、神様から遣わされる働きで呼ばれる存在。それが天使です。恐れの中にいた羊飼いたちに、あなたがたのために、ありえん救い主が生まれたと、天使が遣わされ、その天使が話してくれたことをまっことその通りやったと、そのまま羊飼いたちは人々に伝えた。天使が話してくれた、ありえん救い主を。それで人々も、ありえんと、不思議に思ったと言われます。私も、太っちょの、羊飼いの天使から話を聴いた時、不思議に思いました。なんか自分の思いを超えたところで、けんどそれが、私に起こりゆうがやないかと思いました。不思議な話。罪とか言われたくなくて信じるのが怖い私に、本当にいい顔で神様をあがめる天使を、神様が遣わして、以前、別の天使が、やはり同じように彼に言った話をしたのです。恐れるな、あなたのために救い主が生まれたからと。本当にそうでした。天使が話したとおりでした。救い主が私のために生まれてくださった。

そして天使は今夜もここで、また世界中で同じ話をして、そしてそこから更に遣わされて行って、同じ不思議な幼子の話をします。いい顔をして、他の天使たちと一緒に神様を賛美しながら。本当に、そのとおりだった。アーメン、ハレルヤ。あなたがたのために、私たちのために、恐れと不安の中にある世界のために、ありえない愛と赦しと慰めと復活の、あなたがたのための救い主が生まれたから、恐れることはありません。神様はあなたを救うために来て下さった。聖なる御子が、私たちを救うために生まれてくださったから、不安があっても恐れなくてよい。その私たちを抱えてくださる、神様が私たちを救われます。この神様をあがめ、賛美する天使たちを用いて、御子が救ってくださるのです。