ガラテヤの信徒への手紙4章1-7節、詩編16篇「神の子とされる復活祭」

18/4/1復活祭主日朝召天者記念礼拝説教@高知東教会

ガラテヤの信徒への手紙4章1-7節、詩編16篇

「神の子とされる復活祭」

イースターの朝。私たちはキリストから輝き出る復活の光のもとで、今年も召天者記念礼拝を捧げます。先に天に召された兄弟姉妹たちのことを思う時、私は兄弟姉妹たちがおられる天の自由な空気に少し触れるような気がして、気持ちがスーッとすると言うか、私も早く行きたいという憧れのソワソワした気持ちと、天の開放感を先取ったスーッとした気持ちを心に覚えます。

イエス様は、先に祈りました主の祈りで「御心の天になる如く、地にもなさせたまえ」と教えて下さいました。天では常に父の御心がなっている。考えてみて下さい。皆、笑顔です。天使も含めて。皆エンジェルスマイル(笑)。だって誰一人自分勝手な人がいない!皆、自分は自分はという罪から解き放たれて、誰も怒ってない。え、じゃあそこにうちの親行けんがやない?と子供たちが不安になっていたら、ごめんと言うしかないですが、親も子も誰もかも罪から解放されるんです。不機嫌な顔も無愛想な顔もない。泣いている人もいない。ストレスフリー。だって罪人フリーだからです。罪人フリーって、罪人を自由に野放しにしてるんじゃなくて、罪人から自由なんです。罪に従ってる人が誰もいない。罪からの自由。そして罪の裁きからの自由。誰も裁いてない。その名を愛と呼ばれる神様の御心に全ての人と天使たちが自由に喜んで従って、空気が笑い声と賛美に満ちている。純粋に早く行きたいと思います。

その片道切符を、復活したイエス様が手にしておられて、さあ、これはあなたのものだと差し出して下さっています。でもその切符を手にしてみたら、それは切符でありながら同時に、私たちの言わば写真付きのパスポートにもなっていて、国籍:天、身分:キリストに結ばれた神の子、天の父の子って書いてある。私の顔写真付きでです。

今朝の御言葉が「私たちを神の子となさるためでした」と言う通りです。そのパスポートを、今朝の礼拝では一人の姉妹が手にしようと洗礼を待っておられます。もっとも写真付きパスポートというのは譬えですので、私がイエス様から預かってポッケに入ってたりはしません。より実際的に言うなら、それが6節の御言葉です。キリストを信じて洗礼を受ける一人一人の心に、天の父が御子イエス様の霊、あるいは、御子は私の救い主だと信じさせてくださるほどに、私と御子を一つの信頼の絆で結んでくださる聖霊様が心に注がれて、その後もずっと一緒にいて下さるのです。え、どこにおるが?と思われるなら、礼拝で、祈り続け、賛美し続けてください。そしたらわかります。神様は本当に私の天の父なのだと、父が私を我が子として愛して、私の罪を償うために、御子を私のために十字架に付けられたのだと、信仰と呼ばれる父への信頼が、父よと呼ぶ祈りと賛美と礼拝の中で、アーメン、本当にそうながやと、他に説明しようがない平安となって心を確かにするからです。

これから行います洗礼式は、全てが、このキリストから輝き出す復活の光のもとで行われます。儀式それ自体に人を神の子にする魔力的な力があるのではないですし、志願者の信仰の強さや、牧師の…そんなのは一切、私たちを救いません。復活のキリストがここにおられて、さあ、ここに父の御心を行おう、そのために必要なことは、全てわたしが成し遂げたから、あの十字架で、今ここにわたしと共にいる、あなたのためにと、御言葉と御霊によって保証して下さっています。そのキリストのご臨在が洗礼の全てです。

そして御心の天になる如く、既に十字架で、その償いの死によって、人となられた永遠の御子、神様ご自身の死によって、地にもなされた、父の救いの御心が、今ここになされます。皆さん、今、主の祈りが洗礼によって成就します。主の祈り、祈っているけど、聴かれているのかなと思われたなら、今ここになされます。御子を犠牲にされるほどの強い力強い父の御心が、天になる如く、ここになります。

また、もう一言加えるなら、洗礼は、イエス様を信じて洗礼を受けて救われると言うのが、口だけにならないように、洗礼は結婚式のように皆の前で行います。わたしはイエス様と結ばれて、罪をイエス様に負われて、赦されて、今から新しくキリストのものとして、神の子として生まれ変わらせて頂いて、新しく生きていきますと、公に、神様への信頼を言い表しますから、洗礼式は、儀式と言うより、挙式と言ったほうがピッタリくるとも思います。

これから洗礼の挙式を行います。

同じように挙式をして、神の子とされた者たちも、その恵みと奇跡を改めて覚え、賛美して挙式にあずかりましょう。

まだ洗礼を受けておられない方も、どうぞ、この奇跡の輪に加わって下さい。復活のキリストの光が、全ての人を照らしておられますから、ご一緒に、この復活の光のもとに身を置いて下さい。全能の父の救いの御心が、この光のもとでなるからです。