11/9/4朝礼拝説教@高知東教会 ルカによる福音書20:27-40、詩編88篇9-13節 「生きよ、人は復活する」

11/9/4朝礼拝説教@高知東教会

ルカによる福音書20:27-40、詩編88篇9-13節

「生きよ、人は復活する」

 

復活したら、天使に等しい者になるって、一体どんなイメージを思い浮かべればよいのでしょう。まさか背中から翼が生えているイメージ、ではないと思います。西洋絵画の天使たちのように美しい金髪になるのでしょうか。こんな和風の顔で(笑)。いやあ、できれば勘弁してもらいたいと思うのですが、イエス様が力を込めて言われているように、人は神様によって生きるのですから、金髪になるのなら、主よ、どうぞ思いのままに、ただもしそうなら、ぜひパーマもと願うばかりです。皆さんは、どのような天使に等しくなりたいと思われるでしょうか。

神様によって生きる者は、なるのです。天使に等しい生き方ができるように、復活によって変えていただける。例え今、地を這うような生活にどんなに涙していても、私たちが神の子と呼ばれる者となるために、キリストを私たちに下さった神様を信じて、神様によって生きている者は皆、天使に等しくなるのです。もはや死ぬこともない神の子として、永遠に喜びの中を生きていけると、主は約束をしておられる。

復活を考える時に、どうしても考えないかんのが、この「生きる」という問です。人は、どうして生きるのか。何故、生きるのか。何のためにと言ってもよいし、何によって生きるのかとも言えるでしょう。私は何に対して生きているか。これに答えることができなかったら、復活のいのちを考えたとしても、ピンと来ないのではないでしょうか。神様によって復活させられて、さて、じゃあ何のために復活をするのか。どうやって、それから永遠を生きていくのか。これをイメージできないということが、当時のサドカイ派のような復活否定、あるいは、復活はするにはするんだろうけれど、ピンと来んから今が大事よという現世主義、半分サドカイ派という意味で、半サドカイ派という結果に、なるのではないかと思うのです。

それに対してイエス様は、はっきりとこう言われます。すべての人は神様によって生きている。あるいは、こう訳したほうがよいでしょう。すべての人は神様に対して生きている。神様によってと訳すなら、私たちの心臓が動いて、心が動いて、前に向かって生きようとしている。その生きている命を後ろから、さあ、前にと、生かしておられるのが神様だという理解になるでしょうか。あるいは、神様に対してと訳すなら、そうやって神様が生かして下さっている私たちの命には、向かうべき先があるというのです。向かうべき先に向かってないのを、聖書では、命の的外れ、罪だと言うておるのですけど、罪に生き、的を外して生きて死んでも、その先に神様と対面することは決まっています。イエス様がここで力を込めておっしゃるように、すべての人は神様に対して生きているからです。だから神様と対面をします。そして、あなたは次の世に入って死者の中から復活するのに相応しいか、どうかと問われる。

改めて、いま神様の前で、考えたいと願います。私たちは何のために生きているのでしょうか。どこに向かって、今の生活は作り上げられているのでしょうか。宗教改革者ルターは言いました。私のカレンダーには二つの日しかない。今日この日、そして主に対面をする、その日だ。かけがえのない今日と、仮に明日が来なくても必ず来る、その日。今日と、その日。ルターが、どちらの日に比重を置いていたかは明白です。その日のために生きているから、今日の日を永遠の重みをもって生きていくことができるのです。私たちもまた同じです。今日の一日は、本当は、永遠の重みを持っています。無論、今日、罪を犯してしまったら、その日、復活を取り上げられるというようなイメージは、神様を誤解しています。そんな機械仕掛けの裁きの神が、私たちのためにキリストを十字架につけて身代りにされるでしょうか。私たちのためにキリストを死者の中から復活させて、あなたの罪は赦されたから、あなたも復活にあずかって生きられるから、永遠の重みを持つ今日を、キリストを信じて生きなさいと、むしろ呼びかけ、背中を押して、すべての人はわたしに対して生きていると、今日の日を神様に向かって生かしてくださる。それがキリストによって私たちを復活させて救われる、世界を造られた神様です。私たちは、この神様に対してある、今日を生かされている。かけがえのない今日を、神様に生きていけるのです。

天使もそうです。天使こそ、そうだと言うほうがよいのでしょうか。改めて、天使を知って欲しいと思います。キリストに救われる私たちは天使に等しい者になるからです。金髪のことは忘れて下さい。そもそもアブラハム達に現れた天使の髪の毛の色は、おそらくユダヤ人と同じ、ジェットブラック、真っ黒です。他にもおるのかもしれませんけれど、おしなべて天使について言えるのは、死ぬことがないということです。死ぬことが、できないというのが直訳です。どうして死ぬことができんのか。天使については、明白です。一つには、私たちと同じ人間の肉体を持ってないからです。が、もう一つの理由のほうが決定的です。天使は神様に対して生きているからです。私たち人間は神様に対して生きているのに、なのにこの世で自分に生きて、神様に生きるという的を外して、永遠を外して罪を犯して、生き損なって死んでいくのに、天使は、喜んで神様に生きている。この福音書の最初に出てきた何人もの天使を思い起こせば、よくおわかりになられると思います。皆、神様に対して喜んで生きていて、神様に仕え、神様が愛してやまない人々の救いのために仕えて生きて、賛美に満ちている。天使は神様に生きていて、罪を犯してないのです。だから天使は死にません。その天使の喜びに、人は等しくなれるのです。もはや神様に対して、罪を犯さず、自分に対して生きることをせず、それ故に苦しみ葛藤する一切の罪との闘いも敗北もなくなって、神様を悲しませることも、怒らせることも、再び神様に、あなたはどこにいるのか、何ということをしたのかと問わせることもなくなって、神様を愛して、人を愛して、真実に喜んで生きられるから、もはや死ぬことがないのです。赦されて、キリストの復活に結ばれた、神の子として、人は神様に生きられる。

その人は、天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。主がそうおっしゃった「神の子だから」という言葉は、イエス様が神の子と呼ばれる言葉と、等しい言葉で言われます。天使と等しいどころではない。人としてのイエス様と等しくならせて頂ける。復活にあずかるとは、そういうことです。イエス様が、わたしは復活であり、命であると言ってくださった。そのイエス・キリストに結ばれてキリストの復活に結ばれて、あなたはわたしと同じ神の子だろう、神の子のいのちに生きていく為、あなたは生まれてきただろう、思い出せ、あなたの真実を、忘れるな、あなたの出生の秘密を、あなたは神の子となるために生まれてきた、失ってしまったものは取り返したから、あなたの罪は赦されたから、神の子として復活して生きる、あなた本来の命に立ち返れ、神の子よ、立ち上がれ、死者の中から復活せよと、復活のキリストが、命じてくださる。キリストが私たちを神の子として生かしてくださる。だから人は、神様に生きていくことができるのです。

すべての人は神様によって生きる。それは単に手段ではありません。それはすべての人の目的です。人は、神様によって生まれてきました。そして、神様に向かって生きるのです。キリストがそのために、死んで甦ってくださって、あなたはわたしに従いなさい、と呼んでくださる。ここに命があるのです。生きる目的があるのです。すべての人は、神様に生きていくのです。